長谷川千秋を語る

長谷川千秋を語る

なぜ今「千秋」なのか

長谷川千秋は音楽、文学作品の他に2人の子供を残している
本サイトにおける情報は記憶に少ない父親を求めた集大成となっている
より多くの方に若くして亡くなった才人を知ってもらいたい
そう願っている

宮本梢と父

ものごころついて以来、不在の父親像だった
不在は不在のまま映像をむすんでゆく
五十年忌に呼び戻した千秋像もまた虚像にすぎないかもしれない
WEB記念館は最後の最後
簡単に言えば、父に会いたいだけである

長谷川正人の父探し

弘前へ千秋の墓を移した
転墓法要の際はまだ千秋の兄弟も多数存命で、津軽に足を踏み入れたか多少の迷いはいずれもが持ったようだ
沖縄戦の行方不明死ゆえ遺骨は帰らず、遺髪と爪だけおさめた墓だったが、
移すにはそれなりの手続きも要り、正人は父の足跡を探し始めた
板柳町史に師小宮豊隆の名を見つけた 温泉宿の古い宿帳も見せて貰った
とうとう、その一行に二人の助手が居て、そのうちの背の低い丸っこい人は魔法のように五線譜に採譜していたとの証言を得たのだった