〜昭和100年の記憶〜にて長谷川千秋作曲『さふらん』が演奏されました

2025年10月8日渋谷区文化総合センター大和田 伝承ホール『うたは時をこえて〜昭和100年の記憶〜』にて長谷川千秋作曲の『さふらん』が演奏されました。

      

『うたは時をこえて〜昭和100年の記憶〜』はバリトン歌手の松井康司 氏(桐朋学園芸術短期大学名誉教授)の企画で、昭和100年にあたる今年(2025年)、改めて昭和の日本の作曲家による西洋音楽の流れを、松井先生の話と歌とともに追体験するようなコンサートでした。

コンサートの前半は、山田耕筰 作曲『待ちぼうけ』などの童謡から、千秋の卒論の恩師にあたる信時 潔 作曲の『丹沢』『占うと』、千秋と同世代で朝ドラ『エール』のモデルとしても知られる古関裕而の最近発見された譜面『青き甕』など、当時の作曲家たちが挑戦した芸術的な曲まで聴くことができました。


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『さふらん』

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詩:木下杢太郎 曲:長谷川千秋
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演奏:メゾソプラノ 石井真紀 氏

ピアノ:前田美恵子 氏
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石井氏と前田 氏『さふらん』の演奏を聴いて、鐘の音が重く鳴り響き、詩と曲が一体化して時空を歪めるような異空間、さふらんの目をした娘の暗い憂鬱に誘い込まれました。当時出版された譜面に千秋自身が修正を入れたものを読み取って演奏いただいたとのことで、より千秋が表現したかったものに近い演奏だったそうです。

(長谷川家からは筆跡の確認用に手紙や小説原稿の画像を提供させていただきました)

      

長谷川千秋と荻野綾子(太田綾子)

    

『さふらん』は、昨年、荻野綾子の研究をされているソプラノ歌手の木村優実氏から千秋の譜面が発見されたとご連絡をいただいた中の1曲です。荻野綾子は、大正から昭和初期に活躍した声楽家で、彼女が持っていた55人の邦人作曲家による自筆譜が東京芸術大学附属図書館にあり、木村氏の働きかけもあって昨年デジタルアーカイブ化されました。

   

木村氏によると、一緒に発見された譜面『蟻地獄』には「太田綾子女史に捧ぐ 昭和十年十一月十六日」と千秋自筆の書き込みがありました。また同図書館には千秋の『さふらん』『ほのぼのと』の出版譜もあり「太田太郎様、太田綾子様 謹呈」と書かれていたそうです(太田太郎は太田綾子の夫で音楽評論家)。『蟻地獄』は1936年の「太田綾子独唱会 新作日本歌曲発表」で演奏されています。独唱会のパンフレットには作曲家からの言葉として「別に申し上げることはありません(ほんとを言へば非常に嬉しいです)」と記載されていたとのことで、千秋が荻野綾子に自分の曲を歌ってもらえるよう行動し、願いが叶った喜びが伝わります。

         

音楽は歌われて生き続ける

       

今回のコンサートでは、沖縄戦で命を落とした長谷川千秋の『さふらん』、終戦後フィリピンで自決を余儀無くされた村野弘二 作曲 「白狐」『こるはの独唱』(台本:岡倉天心)が続けて演奏されました。どちらも素晴らしい演奏でした。そして前途ある作曲家の未来を奪った戦争の悲しみや悔しさも感じました。

    

コンサートの後半は、ラジオ歌曲や戦後活躍した作曲家の曲が演奏されました。松井先生が舞台上で石桁真礼生の歌曲『きつね』(詩:神保光太郎)の曲を紹介される中で「長谷川千秋が生きていたらこんな曲を書いたかもしれない」と言ってくださり、千秋が譜面を通して松井氏の中に生きはじめたことに感謝し、その『きつね』というのがとても変わった面白い曲で、嬉しい納得がありました。

 

 

 

 

長谷川家の古いトランクから

長谷川家の古いトランクや鞄を2022年正人の妻や娘たちが確認した際の写真を公開。手書きの手紙や小説、楽譜、フィルムなどが見つかった。

ネガフィルムを確認すると、写真を撮り合う千秋と妻・幾(いく)の姿が写っていた。1937年(昭和12年)ごろの鵠沼海岸への新婚旅行の写真と思われる。

鞄からは妻の幾の教員免許状も確認された。戦前から英語を学んでいた幾は、戦後、英語の通訳や教師を務めた。

戦時中に禁止されていた英語の歌を口ずさんでしまった幾に、千秋は「勉学ならいいが、趣味ならやめてくれ」と言ったことや、千秋が幾に『古事記』の講義をしたエピソードが、後に幾から語られている。

        

      

長谷川千秋の家系

長谷川千秋は松太郎とよしから生まれた8人兄妹の上から4人目。市田幾と結婚し長女 梢・長男 正人が生まれた。

     

          

      

      

長谷川千秋 短編小説集 上下巻 現代語訳 長谷川正人 発行 

去る2024年6月20日、千秋の命日に、息子の正人が執筆した現代語訳の書籍を、正人の妻ゆりと長谷川千秋WEB記念館にて発行しました。千秋の妻で正人の母、幾より「(千秋の)音楽は梢、文学は正人がまとめてほしい」という言葉があったからか、正人は晩年、病魔と戦いながらも精力的に現代語訳に取り組み、出版の準備を進める中、2022年に他界しました。書籍は非売品ですが、作品は当WebサイトのブログにアップしたPDFで読むことができます。

 

 

水原吉郎(長谷川千秋)作品 現代語訳を公開

水原吉郎は長谷川千秋・文筆活動のペンネーム

 

原文執筆 1940(昭和15)年頃 

現代語訳・編:長谷川正人 2021年

当時の挿絵より

目 次

 

腕 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥1


火渦 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥19

 

ジュリエット ‥‥‥‥‥‥‥‥‥45

 

仙台 


その一 客引 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥61

 

その二 家 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥67

 

その三 猫 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥80

 

その四 夜 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥91

 

その五 食い物に関して ‥‥‥117

 

仙台 改題 北国の懐郷病者 

 

その六 皮膚 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥131

 

その七 皮膚 ‥‥‥‥‥‥‥‥155

 

  

影 ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥    178

 

山間‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥‥ ‥ 184

 

出張日記‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ 192

 

駿河舞‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥  ‥ ‥ 211

 

安土の夜‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥‥ ‥ ‥ ‥ 233

 

青草‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥255

 

臥牛山図 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥273

 

猿 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥288

 

夢三題‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥305
 

 

雨の湯ノ湖‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥314

 

 仙台改題北国の懐郷病者の表題について、
新風土昭和十五年四月号には「その七」、五月号には「その八」と掲載されていますが、
「その五 食い物に関して」と文章内容が連続しており、「その六」「その七」としました。

 今日の人権意識に照らして、不適切と思われる表現や言葉が見られますが、
作品が書かれた昭和十年代の時代背景を鑑みて、原文のまま掲載した箇所があります。
 また、傍線の言葉について、文末に説明を付けました。







 

「曇りの日のオホーツク海」を追加しました

「曇りの日のオホーツク海」詩 北原白秋 作曲 長谷川千秋 東京藝術大学附属図書館所蔵

音楽活動ページに、「曇りの日のオホーツク海」を追加しました。

     

     

「長谷川千秋」公式サイト  移転・リニューアルのお知らせ

長谷川千秋に関する記録を ご拝読いただきありがとうございます。

「長谷川千秋 生誕100周年サイト」を Flash機能の終了にともない
本サイト「長谷川千秋WEB記念館」に 移転・リニューアルいたしました。

長谷川千秋 旧サイト のデザイン
2008年から2021年まで公開
旧サイトのデザイン(2008-2020)

本2020年で千秋の没後75年となります。
長女・梢、長男・正人への取材、
資料の深掘りや新資料などの情報を、こちらに追加して参りたいと思います。

今後ともご支援、ご協力のほどよろしくお願い申し上げます。